脱炭素の新常識「クライメートポジティブ」とは?
2025.11.19
「2030年目標、このペースで本当に間に合うのだろうか」
削減目標の数字と向き合いながら、そんな不安を感じたことはありませんか?
省エネ設備への投資、再生可能エネルギーへの切り替え、サプライチェーン全体での削減努力。やれることは全部やっている。それでも、Scope 3の削減は思うように進まない。競合他社の動きも気になる。株主への説明も頭をよぎる。そんなみなさんに、少し視点を変える話をさせてください。
いま世界では、気候対策を「負荷を減らす」段階からさらに進め、環境そのものを良くしていく“プラスの価値”を生み出す企業が増え始めています。
IKEA、H&M、そして2024年に開催されたパリオリンピック。彼らが共通して掲げているのが「クライメートポジティブ(Climate Positive)」という新しい基準です。
「排出量ゼロ」から「排出量マイナス」へ|脱炭素の新基準とは
まず、言葉を整理しましょう。
カーボンオフセット:
削減努力をした上で、それでも避けられないCO2排出を、植林や再生可能エネルギー投資などで相殺し埋め合わせる考え方。
カーボンニュートラル:
排出量と吸収量を差し引きして、ゼロにすること。
クライメートポジティブ:
パリ協定に基づいた取り組みを推進した上で、排出するCO2よりも多くの量を吸収・固定化すること。
これまでの発想では、「CO2をいかに減らすか」「いかにコストを抑えて規制をクリアするか」――ネガティブをゼロに近づける、守りの姿勢がみられていました。
一方で、これからの発想は、「環境対策を通じて、どんな新しい価値を生み出せるか」「気候変動対策が、どんなイノベーションや競争優位性につながるか」――ゼロを超えて、プラスを創り出す、攻めの姿勢が重要になるのです。
たとえば、再生可能エネルギーへの投資は、単なるCO2削減ではなく、エネルギーコストの長期安定化とレジリエンス向上という新しい価値を生みます。REDD+への参画は、Scope 3削減だけでなく、地域社会との信頼関係構築やブランドストーリーの強化という新しい価値をもたらします。
削減から創造へ。義務から機会へ。
このマインドセットの転換こそが、クライメートポジティブの本質なのです。
これは単なる目標の上方修正ではありません。気候変動対策のリーダーシップを取り、競合との差別化を実現し、ESG評価を飛躍的に向上させる、戦略的選択なのです。イノベーション視点の醸成――単に削減するという視点に留まらない、新しい企業の姿勢ではないでしょうか。
【実例】ザンビアの小さな工場が実現した「クライメートポジティブな紙」
「そんなすごいこと、大企業じゃないとできないんでしょ?」
そう思われるかもしれません。
しかし、アフリカ・ザンビアにある小さなバナナペーパー工場(弊社運営)では、排出するCO2の120%以上を吸収・固定化する「クライメートポジティブな取り組み」を行っています。そこには、最先端の技術も、巨額の投資もなかったのです。
必要だったのは、明確な戦略と、一歩ずつ確実に進む実行力。そして、「楽しむ」心でした。
2段階アプローチ|徹底削減 × 森林保護
バナナペーパー工場が実践したのは、シンプルな2段階アプローチです。
第1段階: 徹底的な排出量削減
まず、排出量をできる限り削減する。これは基本です。
・100%再生可能エネルギー稼働:太陽光発電5.5kW(年間8,000kWh以上)、水力発電、バイオガス(建設中)
・バイオクライマティック建築:自然の風通しを最大限活用。エネルギーを使わずに快適な職場環境を実現
・廃棄物の資源化:本来捨てられるバナナの茎を原料に。1年で再生する環境負荷の低い植物
・100%オーガニック栽培・製法:化学物質を一切使用しない。工場排出水も国連基準を遵守
みなさんの会社でも、段階的に導入できる施策ばかりです。まず照明からLED化、次にソーラーパネル導入、そして製造プロセスの見直し。小さな積み重ねが、確実な削減につながります。
第2段階: 排出量を超えるCO2の吸収・固定化
そして、削減しきれない排出量を「吸収」に転換する。ここが、クライメートポジティブ実現の鍵です。
バナナペーパー工場は、ザンビアの地域の人々と共に森と生物多様性を守り、カーボンクレジットを生み出す活動を推進する団体・Bio Carbon Partners(BCP)によるREDD+プロジェクトに参画しました。その結果、CO2排出量の120%以上を吸収・固定化することに成功。「減らす」を超えて、「吸収する」価値を創出したのです。
しかも、この取り組みはVCS(Verified Carbon Standard)認定として国際的に認められており、信頼性の高いデータです。
2024年の危機を1週間で乗り越えた「レジリエンス戦略」
2023年から2024年にかけて、ザンビアは深刻な干ばつに見舞われました。
水力発電への依存度が高いザンビアでは、発電量が大幅に低下し、各地で停電が発生。工場は稼働停止の危機に直面しました。
その際に、日本のパートナー企業13社に緊急支援を要請。わずか1週間で、5.5kWの太陽光発電システム導入資金が集まりました。年間8,000kWh以上の発電量。これは日本の約2世帯分の年間電力消費量に相当します。工場の機械と照明すべてを、太陽光で賄う体制が確立されました。
そして、予想外の「豊かさ」も生まれました。
ザンビアの貧困地域では、携帯電話の充電は有料サービスですが、太陽光で余った電力を使って、チームメンバーに無料のスマホ充電サービスを提供できるようになり、家計の直接的な節約につなげられました。また、気温40℃を超える地域で、停電時にも止まらないソーラー冷蔵庫も重宝されています。

環境投資が、従業員の福利厚生になり、地域のライフラインになった。これこそ、クライメートポジティブが生み出す「新しい価値創出」の形です。
大規模システムでなくても、段階的導入が可能ですし、複数企業での共同投資も選択肢にできます。そして何より、環境対策がBCP(事業継続計画)としての価値を持つということは大きな価値になるのではないでしょうか。
植林より即効性のある「今ある森を守る」REDD+の仕組み
「カーボンオフセットなら、植林活動に投資すればいいのでは?」
そう考える方も多いでしょう。でも、植林には一つの課題があります。
なぜ「植林」ではなく「森林保護」なのか?
「木は再生できるが、森は再生できない」という言葉があります。1本の木は数多くの虫や鳥などの生き物のいのちを支えており、木自体は数年で再生できても、そのいのちのつながりや森という大きな生態系を再生するには非常に長い年月を必要とする、という意味です。そのため、植林よりも効果的で価値がある取り組みとして、今ある森を守ることでカーボンクレジットを生むという手法が注目されています。
それが、REDD+(今ある森を守る)というアプローチです。
REDD+(Reducing Emissions from Deforestation and Degradation, plus conservation)は、地元のコミュニティによって森を守り、森林が吸収し貯蔵する炭素をカーボンクレジット化する仕組みです。
「新たに木を植える」のではなく、「本来伐採されていたはずの森を守る」。これが、REDD+の核心です。
バナナペーパーが参画する「緑の回廊」づくり
バナナペーパー工場は、サウス・ルアングワ国立公園の近隣に位置します。
BCPが保護しているのは、サウス・ルアングワとロウワー・ザンベジの国立公園をつなぐ「緑の回廊」と呼ばれる森。ゾウ、ライオン、キリン、ワイルドドッグなどの野生動物が移動する、ザンビアの生物多様性を支える極めて重要な森となっています。

貧困が、密猟の要因のひとつとされていますが、バナナペーパー工場は、密猟者になり得てしまう可能性のある人々に、安定した雇用機会を提供します。REDD+で生まれたカーボンクレジット収益は、地域の病院や井戸の建設などに使われます。

その結果、ルアングワ地域では野生動物の保護活動が強化され、生態系の回復が報告されています。
一枚の紙が、ゾウを救う。
これは、比喩ではなく、環境・社会・経済が統合された、実際の話なのです。
荒れ地が1,000本の森に再生した奇跡
もう一つ、ザンビアのバナナペーパー工場が教えてくれた大切なこと。
それは、「自然は私たちの努力に応え、パートナーとなってくれる」ということです。
リジェネラティブ(再生型)の実証
2014年、工場建設予定地は、調理用の薪のために違法に木々が切り尽くされた後の荒廃地でした。広さは、約26,400平方メートル(東京ドームの約半分程度)。
木陰もなく、つむじ風が吹き、砂埃に悩まされる。雨が降ればすぐ洪水状態になる、保水力のない土壌でした。

チームメンバーが、その土地に固有種を中心に約300本の木を植林しました。すると、驚くことが起きました。
敷地が緑豊かになるにつれ、鳥や小動物たちが集まってきたのです。そして、動物たちが糞を通して種を運び、自然に芽生えた木が約700本に達しました。
人が植えた300本 + 動物が植えた700本 = 合計1,000本の森
かつての荒れ地は、生物多様性に富んだ緑豊かな環境へと再生しました。

「人が木を植えたら、動物たちも手伝ってくれた」
自然が私たちの努力に応え、パートナーとなってくれた瞬間です。これこそ、サーキュラーエコノミー(循環型経済)を超えた、リジェネラティブ(再生型)の力強い証明です。
削減するだけではなく、再生する。奪うのではなく、還元する。このマインドセットの転換が、企業の脱炭素戦略を、本物の持続可能性へと導きます。
まとめ|一枚の紙が教えてくれた、企業が未来を変える方法
2030年まで、あと5年。
この記事で紹介したザンビアのバナナペーパー工場の事例は、決して「特別」な話ではありません。
限られた予算でも、工夫次第で実現できる。中小企業でも、国際的な環境目標を達成できる。そして何より、環境対策が事業成長のエンジンになる。
世界はすでに動き始めています。IKEA、H&M、パリオリンピック。彼らが共通して掲げる「クライメートポジティブ」という新しい基準。
クライメートポジティブという言葉は、今後聞く機会が増えるでしょう。
この記事を読んだみなさんが、2030年にその言葉を語るとき、「追随する側」としてではなく、「先進企業」としてであることを心から願っています。
重要なのは、削減という視点から、新しい価値を創出するというマインドセットへのシフトです。
「カーボンニュートラル達成」から「クライメートポジティブ実現」へ。守りの環境対策から、攻めの環境戦略へ。コストではなく、競争優位性への投資へ。
一枚の紙が、アフリカの森を守り、ゾウを救い、人々の暮らしを支える。そして、企業の未来を変える。
選択は、みなさんの手の中にあります。
今日、最初の一歩を踏み出してみませんか。

